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徒然なるままに ~あの娘(こ)はどんな娘?~
これぞ正に“徒然なるままに”、思いついた話。
カラオケファンの貴女、昭和歌謡を得意としている貴方、歌詞の中に“あの娘(こ)”が出てくる歌が結構多いことに気がつきませんか?
かく言う私も、ある時、♪あの娘(こ)の白い指♪という「東京カチート」の歌詞を思い出して、「そう言えば“あの娘”という歌詞が随分沢山あるじゃないかなぁ」と、手元の「昭和歌謡集」を開いてみました。徒然なるままに
あの娘(こ)の姿を想像してみましょう。
思い出すキッカケのフランク永井「東京カチート」は、「グラスにからませた“あの娘の白い指”」という歌詞。ノースリーブ、ラメ入りの黒いドレスを着た、洒落た指輪かなんかした、ちょっと大人の“あの娘”というイメージでしょうか。
戦後復興の象徴「リンゴの唄」、1945(昭和20)年、並木路子が歌って戦後のヒット曲第1号となりました。メロディは結構マイナーなのですが、
歌詞と歌手で戦後が終わった明るい感じの溢れた良い曲です。
“あの娘(こ)”は2番の歌詞に登場します。“あの娘(こ)よい子だ、気だての
よい娘、リンゴによく似た可愛い娘”、“あの娘”は、白い大き目の開襟シャツを着て、日焼けした健康そうな女性でしょうね。
清純な感じがするのは、橋幸夫・吉永小百合が歌った「いつでも夢を」、“あの娘はいつも歌ってる”という歌詞で、真っ白いブラウス、紺のスカートをはいた高校生風の“あの娘(こ)”でしょうか。
三橋美智也の「あの娘が泣いてる波止場」は、“思いだしたんだとさ、逢いたくなったんだとさ”と鼻にかかった、コブシの効いた歌声で始まる名調子の“あの娘”は、絣か何かの着物でハンカチではなく、“手ぬぐい”で涙を拭いている“あの娘”が浮かびます。
“花の東京のど真ん中~、ぐるり回るは山手線んん~!”と、威勢よく始まる、佐々木新一の「あの娘たずねて」は、“いつもあの娘と逢った町”という歌詞。
10代後半から20才前後、おきゃんな気の強そうな“あの娘”。
のんびり、ゆったりした歌声ながら“あの娘は波止場で涙顔、俺は出ていく船の上”と歌いだすのは、青木光一の「元気でね、さようなら」、波止場モノの典型ですね。赴任地で好きになった“あの娘”と別れ、本社に戻って行く男、なんて想像をたくましくしてますが、、、。
軽快なのは何といっても、キューちゃん、坂本九の「あの娘の名前はなんてんかな」。永六輔作詞、中村八大作曲、いわゆる「ろくはちきゅー」の名曲です。
後ろ姿が素敵で手当たり次第に名前を呼んでみるというコミックソングでした。
やはりポニーテール、ショートスカートのキュートな“あのこ”ですね。
キューちゃんと同じく「夢であいましょう」で歌った北島三郎の「帰ろうかな」は郷愁を誘う一曲です。これも「ろくはち」コンビ。“村のあの娘(こ)も数えて十九、そぞろ気になる、やっぱりほの字”と歌います。東京から故郷を思う歌は当時、結構ありましたね。“姉さんかぶり、絣の着物とモンペ姿で実家の農業を手伝いながらサブちゃんの帰りを待ってる、あのこ”ですね。
フランク永井の都会演歌からもう一曲「夜霧に消えたチャコ」、“俺の心を知りながら、なんで黙って消えたんだ。チャコ、チャコ・・・あの娘(こ)は可憐な可憐な娘だったよ”と低音で切なく、フランクが歌いました。あの娘の寂しい横顔が浮かんできます。私もスナックでよく歌いました。
最後に極めつけの“あの娘”を。
春日八郎の「別れの一本杉」、春日の代表曲のひとつ。
“泣けた、泣けた、こらえきれずに泣けたっけ。あの娘と別れた哀しさに、山のかけすも泣いていた”、春日八郎がクリアなハイトーンで歌いあげました。
村はずれの一本杉、石の地蔵さんの傍で、あの娘(こ)と別れます。男は古いトランクを持ち、女は流行遅れの洋装、白黒映画の情景が浮かんでくるような歌詞です。男は東京から回想して“あの娘は幾つ とうに二十歳は過ぎたろに”、と自分を待っている“あの娘”を歌っています。曲は1955(昭和30)年の発売ですから、当時の「二十歳」は今よりもっと大人びていたような気がします。
“あの娘(こ)”、随分沢山あるでしょう?作詞家は結構便利に使っていたのではないでしょうか。前後のストーリー(歌詞)で全く違う“あの娘”の姿が浮かんでくるのが面白いですね。
秋の夜長、あなたも昔の“あの娘(こ)”をちょっと思いだしてみては如何?
関西テレビ 出野徹之